あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

アーリーリタイアとサルトル

日経に早期退職の記事が載る

先々週の日経新聞に早期退職の記事がありました。 

「会社だけ」の人生に別れ 早期退職で生き直し模索 :日本経済新聞

自分は早期退職済だったりしますが、興味があったので続きを読んでみました。

 

www.nikkei.com

日経新聞の購読はしていませんが楽天証券に口座を持っているので読む事ができるパーtんです。

www.rakuten-sec.co.jp

自由の刑に処せられている

話はいきなりすぎるくらい変わりますが、10月はAudibleで「史上最強の哲学入門」と言う本を読みました(聞きました) 

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

 

Audibleはコイン制(有効期限6ヶ月)で、どんな高い本でもコイン1枚で聞けるのですが使わないと期限切れでなくなります。この本の事は岡田斗司夫Youtubeで取り上げていました。高校時代は(当時の)倫理社会を選択してて、こういう入門書で触れられるような話は一通り知っているのですが、ただの入門書と切り口が違うと言うことで読みました。(最初聞いてて気恥ずかしい部分もありますが)

 

で先の記事の内容に戻るのですが(日経新聞を読むような)サラリーマンの早期退職への葛藤やその後の手探りが書かれていました。

このような勤めていた会社でキャリアを伸ばせなくなった年齢のサラリーマンの早期退職後の身の処し方の迷いが、「史上最強の最強の哲学入門」読んで思い出したサルトルの「自由の刑に処せられている」という懐かしいフレーズにぴったりしている腹落ち感がありました。

 「自由の刑に処せられている」という有名な表現の意味を文中より引用しますが

サルトルは、自由を何が正しいのかわからないのに放り出されてしまった不安定な状態と定義します。 
人間は何をすべきかを決断して生きていかなくてはならない(略)決断するための価値観も世の中にはたくさんある(略)決断するための正しい価値観を手に入れるのは不可能(略)
その決断は絶対的に自由である。その(決断の)責任の全責任を負わされる。(略)
サルトルは人間のそういう状況を指して、「人間は自由の刑に処せられている」もしくは「人間は自由に呪われている」と表現したのである 

こういうアーリーリタイアの記事は、色々な(状況の)退職後の人が登場します。サラリーマンだったときは割と画一的だったのに、退職すると急にバラエティになります。

会社もしくは会社員の価値観で生活してきた人間が、みんなが信じてるからという担保がない価値観に殉ずる事ができるかという、ややシビアな問いかけがあります。記事の登場人物の手探り感をみるとそういう(価値観の)自由選択の状況が全ての人に幸せなのか?と感じました。これと言った価値観を持たない人は、アーリーリタイアをするのはあぶないんじゃないかという感想を持ちました、

自分はどうかと言うと、退職後1年未満と言うと決まりごとがまだ多い期間なので、(差が出ない)まだまだモラトリアムなのかと感じがするので、まだ「自由の刑」状態ではないと思っています。