ダイヤモンド・オンラインの記事、大江さんのコラムに書かれてた「成仏」という言い回しがサラリーマンライフの心理の変化について「的を得ている」感がありました。
「成仏」しろと言うのは、会社員としてのキャリアの終わりを認める事を意味しているんですが、なかなかいい表現ですね。夢を諦める場合には「成仏」しろとは言いませんから、年齢的な状況とか、諦める事で今まで見えなかった景色が開ける境地的な含みも感じられる、ひと言表現として秀逸な感じがします。
この記事は50代前半のくらいをターゲットにして「成仏」して(キャリアに対する煩悩を捨てて)第2の人生に向けて切り替えていく事を勧めてますが、会社で生きる事に見切りをつける、会社以外の生き方を模索し始めるのに年齢は関係なく、人それぞれでしょう。
成仏してからが修行
問題はその「成仏」した次の日から「これからは別の生き方をするぞ」と言って「新しい生活」は始められない事です。経済面から考えていきなりは難しいですよね。しばらくは会社にいる必要があります。
よほどの倹約体質でなければ「早期リタイア資金」は貯まってないはず、それどころかそれまでずっと働く前提(固定収入がある)での多少ルーズな出費体質だったりします。自分の場合も、毎日の労働ストレス解消のルーズな支出はあって、それは「ガス抜き」的に必要でした。本格的に倹約とお金を増やす方向に舵をきったのは「成仏」してからです。
早く会社をやめたいと思いつつ会社へ行く、そういう意味では「成仏」してからが「苦行」のスタートだったりします。そうやって苦しい「苦行」に耐えて、ようやく目処が経つと、今度は「達観」して「やめそうシグナル」を出してしまう。
そんな道のりをたどってきました。60歳定年時代のサラリーマンライフのよくあるケースのひとつだとは思うのですが、これから70歳定年が建前になってくるとどんな道をたどるんでしょうか想像もつきません。
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