あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

FIREはつまらない論と幸せとメリットの混同

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自分は早期リタイア(FIRE)継続中人間ですが、特にFIREの伝道師とか権威でもないので、FIREに対する様々な意見については、好きにすればいい(思想の自由)という感じなんですが、FIREしても幸せになれないと言う意見について、『幸せか?幸せじゃないか』論になるのはちょっと違うかなと思います。

そんな事を思ったのはこちらの記事、

r25.jp

FIREで幸せになれるか?のアンケート記事でした。

幸せか?は広すぎる質問

そもそも幸せの定義は曖昧でいくつもあるので、この問いかけ自体がぼんやりとしています。

例えば最近嵌っている(しっくり来ている)幸せの定義は、「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」が出る行動が「幸せ」と言うものです。

agura-huma.hatenablog.com

3つの単語の説明はこちらとかを参照してください。

mainichi.doda.jp

仮に仕事を通じて「ドーパミン」が出て、職場の仲間との交流を通じて「オキシトシン」が出てるなら働く事も幸せです。

(出勤で朝日を浴びて「セロトニン」が出ればと書こうかと思ったのですが、さすがにそんな経験は無かったので止めました(^^;))

FIREして得られるメリットを幸せとして定義するならば

一方FIREのメリットは

例えば、アドラー心理学では「あらゆる悩みは人間関係から生まれる」とあります。「人疲れ」だけでなく「劣等感」「疎外感」もそうでしょう。

もし、この世界から対人関係がなくなってしまえば、それこそ宇宙のなかにただひとりで、他者がいなくなってしまえば、あらゆる悩みも消え去ってしまうでしょう。

この極端さは、FIREのメリットの説明としてはうってつけです。

会社に行かない事でかなりの「対人関係」が消えますから、FIREにはこの「悩み」が減るメリットがあります。自分にも思い当たる節はあります。

またFIREする事は、世間の常識に逆らって人生を「次に進む」事で、世の中のロールモデルとは異なる生き方を目指す事であり、大きな勇気を発揮する事です。

「自分に価値があると思えるときに人は勇気を持てる」

とはちょっと逆ですが、勇気を発揮する事は自己評価につながる筈です。もしくは自立した生活を出来ている事による自己肯定感アップかもしれません。

実際自己肯定感に溢れた早期リタイアブログが多い事からもそれがよく分かります。(自分の場合は「メタ認知」が働く性分なのでちょっとブレーキがかかってます。)

こういう付随するメリットを幸せと感じるかもしれませんが「FIREしたら幸せかどうか」の二元論の話になるのは違う話かなと感じます。

「自立した生き方」をするためのリアリティ

こういうメリットは経済的自立の達成で生じる状況の一つで、FIREの目的ではありません。そして肝心なのは自分の信じる道を進むにはお金(リアリティ)が必要な事です。身も蓋もない事ですが「経済のない道徳は寝言である」と言う言葉を思い出します。

なので幸せのツールと言うより、経済的自立のためのノウハウの拡散が「FIREムーブメント」です。

必要があれば「次に進む」気持ちを大切に

ちなみに記事にあったFIREがつまらないから働きだしたという行動自体は「不満があれば現状を変える=次に進む」点で、行動原理としてはFIREする心理と似たものがあるかなと思ったりもしたんですが、ただ自分の経験だけでFIREを語るのは「過度の一般化」かなという気がします。

 

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