早期リタイア最大の関心時と言えば、いくらあれば実行可能かどうか?と言う話です。生活費の25年分と言い切ってしまったFIREムーブメントは、本を書きやすくしたと言うか、ちょうどいいリファレンスポイント(参照点)を提供してくれたと思います。
ただ実際のところはどうなんでしょうか、相変わらず、みな自分の独自の判断で資産額を決めているんだとは思っています。
人によっては「脱・労働」による「人生の自由(時間的自由)」の獲得を最優先にして、低めの資産額で実行する場合もあるでしょう。
ある記事を見てて、そんな事を考えました。
「人生の自由は有料」
こちらは昨年末の記事ですが、最近、別のFIRE記事を読んだきっかけで、読みました。
投資への粗っぽい考え方は全然同意できないんですが、50を過ぎれば好きにしたらいいという箇所には共感しました。印象に残ったのは、記事の最後のところです。
「自分で稼いだお金で、ちょっとだけ広いところに住んで、それから土地を買って家を建てました。35年、漫画を描き続けてきて、なんか一言いうとしたら『人生の自由は有料』ですかね」
経済的不自由からの生きづらさを綴った自伝的マンガを読んだ事があるので、こういう発言が出てくる背景は分かります。
ここで言っている「人生の自由」はさっきの「時間的な自由」の事でなくて「経済的自由」を指しています。「人生の自由」は「経済的な自由」に左右されると言う価値観です。
本家FIREも「経済的自立」を達成すれば「働かなくてもいい」(時間的自由)が成立すると言う意味で、同じ文脈です。
「時間的自由」を得るだけなら金額は不問
ただ「時間的自由」を得るだけなら、それほど金額は必要ないとも言えます。もちろん
「経済的自由」を犠牲、もしくは「経済的不自由」を許容できればと言う条件が付きます。
こう考えるとFIREに必要な額は、働きたくないという願望の強さと経済的不自由(余裕のなさ)への許容度の、個人的なバランスで決まるんだなとも思えます。
「経済的不自由」も本人がそう感じないなら条件として発生しないでしょう。
「脱会社員」を優先させる気持ちは理解できるが
そこまで「時間的自由」に価値を見いだせるかという事ですが、実際に早期リタイアした人間としては、会社をやめて良かったと今も思っていますから、気持ちは分かります。
ただ退職する事の喜び、「時間的自由」で得られる幸せは「ドーパミン的」幸福だと思ってますから、「時間的自由」があれば後は我慢できるという価値観を持続させるのはなかなか難しいのではと思います。これもあくまで自分の考え方なので、そのあたりどう感じるかは本人次第なんでしょう。
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