FIREは「経済的自立」「早期リタイア」と言う意味ですが、ここでの「働く」意味は生活のための収入を得る手段です。なので勤労収入の代替手段を用意すれば、働かなくても済むという理屈で「働く=お金のため」と言う見方です。
そういう観点で、FIREに否定的な意見は「働く事」の別の面を重視して反論します。
先日マラソン練習をしながら聞いていたAudible(FIRE本ではない)で、労働はお金のためでなく他者から承認を得るために行うものだ(by ヘーゲル)と言うような一節が記憶に残り、この手の批判を思い出しました。
確かに労働には色々な側面があると言うのは嘘ではありません。「お金のため」以外の側面をまとめてみると、個人の「外側」と「内側」に関係するものに分けられます。
承認としての労働
個人の外側「他者」との関係性で言えば、さっきも触れた「承認要求」を満たすために働くと言う考え方です。どの程度、重視するかは個人的な性格やそれまでの人生の経緯によるでしょう。
居場所としての労働
これは定年本でもよく書かれている事で、社会的な居場所(接点)の確保としての労働です。定年は「自然死」ならぬ「社会死」であると言う考え方で、それが年をとっても働き続ける理由だ、という見方は昔からあります。
確かに、初めてのハロワに行った時にも再就職を早くすべき理由として説明されました。
肩書としての労働
この社会的な居場所としての側面をつきつめると、実際の労働内容が伴わなくても「肩書」がさえあれば良いという考えもあるでしょう。世間への聞こえさえよければいいという労働(自称でも構わない)「肩書」としての労働と言う側面も世の中にはあるのではと思います。
悩みの根源としての労働
以上が「他者」と対する事で発生するメリットとしての「働く」側面ですが、人間関係が全ての悩みの源泉であるという「アドラー哲学」に従えば、他者と関係する事は悩みの原因につながるわけで、仕事を辞めれば色々と悩みは解消します。
自己実現のための労働
ここまでは「他者」(外側)を意識した側面でしたが、「自分」だけで自己完結する側面は、いわゆる好きな事を仕事にする、アウトプットを出して自己実現をするための労働という概念です。仕事での自己実現を蔑ろにしていると、FIRE否定論でも指摘される側面です。
早期リタイア実行は、無収入になる事と同時にこれらの側面が一旦リセットされる事も念頭に入れた方がいい事になります。ただ、これも給料と同じで必要があれば承認要求が満たす別の居場所を作り、自己実現を目指す目的を見つければいいとなり、このリセットがどれほどの意味を持つかは、その人次第です。自分の場合はいずれもさほど大した問題ではなかったと感じています。