あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

50代からのToDoと言う共通性の低そうなテーマ

よく見る「本の要約動画サイトに「50歳からはこれしかやらない」と言うものがありました。「家族構成」「仕事」「見た目年齢」など十人十色な50代に汎用的なToDoがあるものかなあ、と言う気持で見てみました。

 

この動画サイトの視聴者の年齢層はもっと下かと思っていたので、今回のような対象年齢が限られる動画を見るのかと思ってましたが、思ったよりも多かったです。

 

www.youtube.com

 

本のタイトルをよく見ると小さく『「会社人生」の上手な終わらせ方』と書いてあり、そちらが本当の想定する読者層のようです。

会社人生の上手な終わらせ方ToDo

動画では8つのやるべきことをピックアップして紹介してました。(ちなみに動画はその部分のURLになってます)

一つ一つは取り上げないですが、その中の一つに「出世競争から降りる」と言うのがありました。上に行くほど席の数が少なくなる会社のピラミッド構造から考えれば、50代にもなれば大抵の人はキャリアが終わっている筈なので、若干迎合気味な意見(これを言っておけば共感を得やすい)にも思えましたが、最大公約数的な意見には違いありません。

「ずっと勉強し続けろ」と言う意見にも共感はしますが、こういう普段の日常会話で使うシチュエーションは想像はできないような意見って、なかなか意識し続けられない気もします。

「多彩の趣味」と「孤独の楽しみ方を知っておく」は、ちょっと手を出す的な趣味は多いし、時間の紛らわし方も自信があります。

「多くの居場所を用意する」と言うのは「多彩な趣味」を足がかりにすればいいんでしょうが、人間関係作りが目的で行動すると事に違和感を感じたりもします。

 

20代と50代の共通点

50代という特別な年齢層を切り取っての話になりますが、最近思うのは50代の気分には20代の気分と重なるところがあるなと言う事です。

まだ「何者」になるかはっきりしてなかった20代と、もう「何者」なのか結論が出てしまった50代とは対極の関係ですが、20代は(10代の頃は全く考えなかった)これからおじさんになっていく事を時々意識する時期だったように、50代の場合はこれからおじいさんになっていく事を折に触れて考える時期だと言う点です。

つまり20代からおじさんになっていくと「喪失」するモノを意識したり、「振り返り」的な気持を持つところにダブるところがあるんじゃないかと思っています。

個人的には「なってしまえばたいした事はない」「無知すぎたのが問題だった」「惰性的な生活だった」と言う気持を思いだします。

今思うと、ネットもサブスクも無料サービスも無くて、情報源が「雑誌」か「テレビ」くらいで情弱なのも仕方がなかったあの頃を思えば、今の方が経済的自立も達成しているし、もう少しマシに立ち回れるんじゃないかと思うわけです。