あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

FIRE志望は「アリかキリギリスか?」

将来よりも今を優先させる生き方(将来を心配し過ぎない)は、「FIRE」志望の動機の一つでもあり、「アリとキリギリス」の寓話が引き合いに出される事が多いです。「ゼロで死ね」でも冒頭に出てきます。

 

私たちは、キリギリスの末路を知っている。そう、飢え死にだ。
しかし、アリはどうなったのか?
短い人生を奴隷のように働いて過ごし、そのまま死んでいくのだろうか?
いつ、楽しいときを過ごすのか?

 

「DIE WITH ZERO」人生が豊かになりすぎる究極のルール より

 

この本に書かれてる「一刻も早く『経験』にお金を使う」とか「死ぬまでにやりたいことは時期で考えると言う考えに自分も少なからず影響を受けています。

 

引用のためにググったらこんな本を見つめました。

こんな本も出てると言う事は、かなり売れたと言う事でしょう。自分はAudible版でしか持ってないので、見返しやすさという点で、kindle unlimitedで読めるのはありがたいです。

キリギリス思考ではFIREできない

またこの話を持ち出したのは、この記事を読んだからです

diamond.jp

この手の注意喚起は一応理解しているつもりですが、一方で本当に自分は「キリギリス思考」なのか?という気持にもなりました。

 自由を謳歌して「自分の稼ぎは、全部自分で使う!」「将来のことはよくわからないけど、忙しいからあとで考えよう」といった人は要注意。今が大丈夫だからといって将来もその状況が続く保証はありません。

こういうスタンスがキリギリス的思考だとすれば、ちょっと違うかもしれない気もします。

実際早期リタイア生活を始められたのは、それまでのアリ的生活の結果でもあるわけで、本当にキリギリス的な思考の持ち主というのは、もう少し刹那的思考と言うか、それに近いものがあるんじゃないかと言う気がします。まあFIREを目指すには「アリ的思考、生活」が必至な訳です。

退職年齢とキリギリス的生き方

早期リタイア生活を始めたのは4年近く前ですが、そのころ50代で早期退職するのは本当にFIRE(早期リタイア)と呼ぶのかなと言う気分もありました。数年経てば世の中的には定年退職者で括られる年齢です。そこまで早期かなという意味です。

 

ところが、それから4年近く経って、ちょっと「世の中的」のニュアンスが変わってきました。4年前は65歳まで働くのがスタンダードになりつつあるかどうか、ぐらいだったものが、今は65歳までは当たり前、70歳定年を目指そうという風潮(洗脳?)を感じます。となると、50代で仕事を辞めてリタイアするのは(世の中の流れに逆らう)キリギリス的思考でしょう。これからも呑気なキリギリス生活を目指したいと思います。