早期リタイアを目指していた時もそうですが、達成後の今も「本来の自分」というフレーズに弱いと言うか心に響きます。この拘りが、会社員生活の反動的なのか、元々の性格なのかは分かりません。まあ両方あるんでしょう。
最近このフレーズを見かけたのは、とある「定年後の過ごし方」の記事
こういう記事は、本当に定年になった人にしか関係のなさそうな内容の場合も多いのですが、今回の場合は早期リタイア者の心情にも重なるところも多く感じました。
「本来の自分」を取り戻す
「やらなければならない」ことではなく、「やりたいこと」に焦点が当たるようになり、それは、不自然で無理をする自分ではなく、本来の自分らしい言動を取り戻し、自分らしい暮らしぶりを獲得することにもつながる。
「早期リタイア」本にも書いてありそうな内容ですが、定年を迎える人向けの記事です。
会社員と言うのは与えられた「役割」「居場所」で頑張るような面があります。「役割」というのは業務上の役割、「居場所」と言うのは、様々な年齢の大人が集まる集団での、年相応の「らしさ」を求められるみたいなものです。
「頑張る」を「演じる」という表現に変えると分かりやすいですが、振り返ってみると50代くらいからの「役割」「居場所」に「本来の自分」との違和感を感じていたわけです。
こんな事も書かれています。
取り組んだことの結果の良し悪しに一喜一憂せず、他者の評価などは気にせず、世間の常識にとらわれず、一般的な型にもはまらず、とても自由にしていられる。
「空気を読む行動」「評価主義」というルールからの解放も、退職前後の変化にあるという指摘です。繰り返しになりますが「早期リタイア」の記事ではありません。
余裕を持って「有限さ」を意識する
もう一点、印象に残ったのは以下の記述です。
「再評価段階」では、これまでの人生や自分自身を見つめる(再評価する)こと。人生の折り返し地点までくると、それまでのように、いくらでも時間がある、やろうと思えば何でもできる、うまくいかなかったことでも十分に取り返せるといった発想は現実的ではない。
「有限さ」を意識する事が人生に充実感を増すと言う主張が「ゼロで死ね」でも書かれているという引用も最近も書いたばかりですが
個人的には定年退職してから、これ(有限さ)に気づくのはやや遅いかなという感じがします。もっと早く将来を俯瞰して、有限さを意識すると同時に、まだ時間がたくさんある事も自覚できる、そういう気持になれる事が、早期リタイアして良かったと思う事の一つです。