あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

早期リタイアするしない関わらず

あと2ヶ月で早期リタイアしてから4年になります。FIREは生活費を貯めて経済的自由になり好きに暮らす事ですが、色々な生き方の一つとしては少数派です。ただこうして数年経ってみると「アラフィフ以降の生き方の原則」的な面でFIREするしないは関係ないかなと思うところがあります。

 

そんな風に思うのは、人間の後半生と言うのは(意識するしないにか関わらず)前半生で得たものに影響されると感じるからです。

 

早期リタイアを達成した自分の場合は、意識して節約と貯蓄と投資も行って、資産を積み上げましたが、早期リタイアを目指さなかった人も「意識する」しないに関わらずに何かを積み上げてきているはずです。

 

極端な例で言えば「ノーベル賞」やら「文化勲章」は「前半生」の生き方に対する評価ですし、身近な例で言えば「貯金額」とか「年賀状の枚数」とかもそう「生活習慣病」はそれまで積み上げてきた「不健康」のツケを払う事です。

 

「Die with Zero(ゼロで死ね)」だと「人生は経験の総和」であり、思い出が後半生を豊かにしてくれる「記憶の配当」になると言っています。経験の積み上げ(記憶の配当)が「後半生」の人生に活きてくると言う見方です。

「後半生」はそれまでの「積み上げ」が影響するという見方の一つでしょう。

 

もっと一般的な話にすれば、前半生で築いた人間関係の中で暮らす事であり、仕事で言えば50歳以降の生き方は、それまでに積み上げてきた「無形の資産」(人脈、コミュ力、スキル)を如何に換金化するか?と言う事になるのだと思います。

そして、そういう無形資産をアテにできない場合は、有形資産を重視すべきであり、そういう意味では(有形資産に頼る生き方)早期リタイアをして良かったと思います。

 

逆に言えば、年をとると摩耗してしまうモノに頼る生き方は危うく、年をとっても無くならないものを積み上げる生き方をすべきじゃないかと今更思います。

 

そういう意味では「人生100年時代」と聞いてそれほど楽しくないのは、後半の50年では前半の50年ほど何かを積み上げる事が出来ず、結局前半生で得た「カード」だけで勝負するしかないのが「現実」じゃないかと心の底では思っているからじゃないかと思うんですが、将来の事をそこまで断言するのは短絡的で、本当は「リスキリング」やこれからの「積み上げ」は可能なんでしょうか?