あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

自由な早期リタイア生活は飽きるのか?

早期リタイア・FIRE生活につきまとう、よくあるイメージとして「そのうち飽きそう」と言うものがあります。こんなイメージが思い浮かぶ裏にあるのは「自由時間だけでは(人は)幸せになれない」と言う考えがあるのでしょう。

 

 

(そのイメージが正しいかどうかは)言ってしまえば、個人的な問題かと思いますが、最近面白い動画を見かけました。

 

もっとも快適な自由時間の長さ

最適な自由(自分の)時間の長さと、人が時間の使い方に求めるもの?についての内容でした。(内容はそれだけではありません)

youtu.be

 

自分が印象に残ったところだけ言ってしまうと

・満足感を高く感じる自分の時間(自由時間)の長さはは1日2~5時間

・人は心の中で生産性を感じる事をしたいと感じている

 

もちろん一つの意見を丸呑みはしませんが、自由時間はあればあるほどいいものではない、無為に過ごすだけでは満足できない、と言う意見にはある程度納得感があります。

 

人は「対価」を求めている

また「自由な生活」の反対が「仕事をする(生活)」でなく「生産性を感じる事」と言っています。このふんわりとした言葉のチョイスも気に入ってます。個人的には人間は「自由」だけでは満足できず、生活の中で何らかの「対価」を求めたいんだと思ってます。

例えば「仕事」は「賃金」と言う目に見えた対価が手に入りますから「手応えの無い自由」だけに満足できなくなった人への適当な解決策の一つでしょう。

 

「対価」として考えられるのは、当然「有形」なものだけでなく「〇〇感(達成・満足・爽快)」「経験」「知識」と言った「無形」なものも考えられるでしょう。そういう意味では「ブログ」なんかもその一つでしょう。(早期リタイア後に)何をするかは人それぞれです。

「〇〇感」のような対価の場合は、同じ事を繰り返すと得られる対価が少なくと言う問題もありますが、今回はその話題には触れません。

 

早期リタイア向きと自由時間満足度

ただこの本で紹介されている内容は、あくまで「平均」ですから、誰にでも当てはまるとは言えません。そういう観点でこの話を考えると早期リタイア生活適性に関する別の見方も考えられます。

例えば、毎日の自分の時間が2時間未満でもさほどの不満を感じない場合は早期リタイアを考える必要が無い人でしょうし、1日の「自分時間」が5時間を越えてもさほど満足感が減らないなら「早期リタイア」に飽きる可能性が少なく、生活面からの早期リタイア生活の持続力が高い人、早期リタイア適性がある

自分の場合は、1日5時間くらいは全くの自由時間で、後は何らかの「予定」を入れるのが「調子がいい」感じです。「予定」と言っても「働く事」とかではなく「いつでもやれるから故にいつまでも手を付けない」(本を読むとか調べるとか試してみるとか掃除する整理整頓する)の事です。