あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

「お金のため」に働くと早期リタイアしたくなる理屈

FIREを目指す世界線では「働く事」を「お金」稼ぐための手段と捉え、FIRE否定論とは見ているもの違いがあると言う話、逆に考えればそういう風に働いてるから(「承認」や「自己実現」が無い)から早期リタイアしたくなるのだと思います。

そんな事ばかり考えて早期リタイア生活を送っているわけでないですが…。

agura-huma.hatenablog.com

最近はAudibleを聞きながら走ってて、この本に出てくる「資本論」の解説を聞いててそんな事を考えるきっかけがありました。

 

賃金の定義で考える労働の側面

「お金」のために働く事は(言い換えると)給料を労働の対価と考える見方です。職場を離れた後(勤務時間外)は自分の時間。最近で言えば「ワークライフバランス」と言う言葉もよく聞きます。

一方、「資本論」での給料の定義はちょっと違います。「賃金は労働再生産のためのコスト」とありました。上の本での説明を引用すると

 

働いて、くたびれた労働者が、自宅に帰って、食事をして、睡眠をとり、翌日また元気に働けるようになるまでにかかる時間と費用なのです。その分のお金が給料です。

 

賃金は労働の対価ではなく毎日働かせるための経費(コスト)、バッテリーに例えれば、仕事中が放電で自宅が充電、賃金とは充電にかかる電気代と言うわけです。サラリーマンは常に会社と繋がっているイメージ、条件的自由が与えられているだけで、会社勤めにはオンとオフの切れ目は本質的には無いという事です。

もちろんこれは19世紀の労働者(労働事情)を説明したクラシックな話です。現代の働き方には、前回書いたような「承認」「自己実現」他と言った「自己肯定感」を得られる要素も含まれています。

お金のために働く事で感じる疎外感

しかし、こういうメリットが仕事から失われたような状況になると、働く事の「充放電を繰り返す」面が強調され、そういう生活から感じる(本当の自分からの)「疎外感」と会社に繋がった制限付きの自由に対する物足りなさを感じるんじゃないかと思います。

自分の場合も40半ばを過ぎて、働く事からの給料以外の「自己肯定感」メリットが薄まりつつなるのを自覚した時、働く時間を短くする事よりも、会社から完全に離れる事の方が解決策になる事を、こういう理屈を無意識に感じていたんだと思います。