あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

早期リタイア者は合理主義と相性がいい?

「早期リタイア」を選択すると言う事は、平均的な「教育→仕事→引退」と言う3ステージな生き方からはハズレる事ですが、ただ基本的に「年をとる」つれてライフスタイルは千差万別化していくモノと思っています。

 

生き方が合理化されるのは自然の成り行き

同じ50歳でも、仕事の内容、結婚の有無、いつ結婚したか、何人子供がいるかによってもライフスタイルは違います。そこからの人生のイベント自体が違うのですから、どれがいいかという優劣の話でなく「個別最適」を図っていくしかありません。

自分の大学の同期に一番下の子供が現在高1だと言う友人がいますが、ライフスタイルが全く異なるのは言うまでもありません。

 

最初の話に戻って、早期リタイアを選択する事はズレていると言うよりは、自分にあった生き方を選ぶ、合理的な生き方だとも言えます。

そういう意味では、早期リタイアに対する満足感とは、自分にあった生き方を選んでいると言う自己肯定感にも重なります。

 

合理的な考えは狭い考え方

ただ合理的な考えと言うのは、一般のイメージほどは優れた考え方だとは思っていません。合理的な考えが輝くのは、問題が局所的だとか条件を限定できる場合に限られると思っています。

 

身近な例であげれば「リニア新幹線問題」です。いつ開業するかは全く分からなくなっていますが、知事のスタンスは終始「静岡県の事だけを考えている」ですが「静岡県知事が静岡の事だけ考える」は理にかなっていますが、静岡県以外の利害関係者には協力的でない「局所的かつ限定的な理屈」と受け止められています。

静岡県の態度が「個別最適」だとすれば、JR東海は「全体最適」を目指しているわけで、話が合わないのは当然です。まあこういう対立構造が発生するのが見え見えなのに「一企業」の立場で解決できると思っていたのかは不思議です。

 

早期リタイア達成者はガラパゴス化人間?

それはさておき「早期リタイア」も、生き方の「個別最適」と言う事になるのですが、すなわち人生を「局所的」「限定的」「短期的」に捉えていると言う事なので、リスクや欠点もそこから発生してきます。若いうちに早期リタイアを目指す事への批判の根っこの一つだと思います。

別の言い方をすれば「生き方のガラパゴス化」とも言えるわけで、早期リタイアが心配されるのも仕方ないのかなと思っています。

と言う意味では、個人的には「ガラパゴス化」も許される年齢だと思ってますが、一方で早期リタイアを決めたのは「自分の意思」だとしても、早期リタイア生活は「自給自足生活」ではありません。

早期リタイアの経済的自立を支えているのは米国インデックス投資が安くできるから(投資コスト減の流れのおかげ)毎日ローコストで暮らせているのもGAFAのプラットフォームのおかげ、要するに今の社会のおかげで早期リタイアが達成・継続できているわけです。

そんな社会は(色々な職業の人の)分業で成りたっているわけですから「ガラパゴスな考え」も抱えつつ、社会全体が幸せ(全体最適を重視)じゃないと「早期リタイア生活」も成り立たない的な意識は持っています。