これと言った暴落が無かった昨年からの相場のせいか、最近の投資系Youtube動画には「生存者バイアス」に染まった主張が多いと感じるのですが、人間は「認知バイアス」からは逃れられないのだし、ある意味では仕方がない事だとは思います。
ここで言う「生存者バイアス」と言うのは、投資に存在するリスクを軽くみて、うまくいった結果を過大評価する事ですが
こういう「認知バイアス」に逆らう事は簡単じゃないでしょう。
「ゼロで死ぬ」と言う生き方も、そんな認知バイアスや行動経済学に逆らった生き方だと言う事を、最近「殖やすから減らす」を考え始めてよく感じます。
分かり易い例から言えば、まずは「プロスペクト理論」です。
この理論が言うように、利益よりも損失を避けようとするのが「人の性」だとすれば、お金を(使う)減らす事への抵抗感が発生するのはごく自然な感情です。
目に見えるお金(資産額)と違って、お金を使って得られる対価の方は数値化できません。「お金を払って得た経験」と「減ったお金」の損得勘定を正しくするのは不可能でしょう。
価値観の一つに過ぎない「経験は大切」と言う考えは、万人に通用する「プロスペクト理論」には勝てないかもしれません。
次は「ナッジ理論」です。「ナッジ」と言うのはちょっとした後押しの事で、人々にある行動に誘導するための仕組みに対する説明で使われる理論です。
例えばここ数年の証券会社のサービスは、資産の見える化や投信積立の自動化など、スムーズに投資をするための省力化を格段にユーザーフレンドリーになっています。投資家が投資をしやすいように「ナッジ」が効いているわけです。
こういう投資する方向の「後押し」と比較して、資産をお金に換えようとした場合の親切さは格段に落ちます。定額引き出しサービスはあるものの定率引き出しはありませんし、何から換金した方がいいかの情報もありません。自分の判断で決めていく必要があるわけです。換金戦略は「ナッジ」が効いていない「面倒な」生き方選択になるわけです。
この記事を書くために参考にした環境省の行動経済学の記事(https://www.env.go.jp/content/900447800.pdf)に
「選ばなくていいは最強の選択肢」
という文言がありました。
人間には意思決定(選択)を直感的に避ける傾向がある事を逆手に取った言い回しで、「『ゼロで生きる』を選択しない生き方」は「選ばない生き方」で、それを直感的に正しいと感じる事は認知バイアスとしてはよくある事になるわけです。
お金が減ったり、これまでとは違う事をしたり、選択が多い生活をするのは人間にとって抵抗感が多い事が分かりました。そういう意味では「お金を減らす生活」はなるべくシンプルであるべきなのかと思います。だからその上に、税金で得しようとしたり、同一サービスで一番安く済ませたいとか、よりポイントがつくお金の使い方はないかとか欲張る事は普通の生活以上に無理しているかもしれません。