コロナ感染が広がる中でも会食を止めようとしない議員心理について「会食は文化」だからという記事があり、妙に納得感がありました(何に載っていたかを忘れましたが)
意見交換が目的ならリモートで良いだろうという至極当たり前の代案に従えないところが、理屈だけではない「文化」と言う呼ばれ方にフィットしています。
そういう意味で、セミリタイアする場合の多くの人がやっているけれど理屈で言えば、絶対必要とは言えないというカルチャーとは何かに頭を巡らせました。
例えば最近のセミリタイア生活は倹約を中心として、優待株を保有するとか配当金狙いで高配当株投資をするなど似たようなアプローチでセミリタイアをする(目指す)人が増えています。最近では米国株のインデックス投信で積立運用するとかも当てはまるでしょう。
確かにこれらは日本固有っぽく「セミリタイア文化」と言っても良さげですが、文化と言うにはやや実用的に過ぎ、TIPSに見えるところもあります。
そういう意味(実用度の低さ)で考えた場合のセミリタイア文化を考えるとセミリタイアブログを書く事なんか当てはまりそうです。
実際セミリタイアブログを書き始める人は後を絶ちませんが、別にブログは書かなくてもセミリタイアはできますし、ブログを書いても多くの場合、実益にはつながらないものです。それでもブログをはじめる理由としては(退職による)時間の余裕や無料(タダ)で始められるハードルの低さもあるでしょう。
自分の経験で言えば、早期リタイアを検討・準備するにあたって、ブログを含めてネットの情報には大変助けられました。そういう経緯を経た分、実際にリタイアすると自分でもセミリタイアしたい人たちに情報を残したい気分になるものです(ブログを運営する楽しさとか何かを続ける事のリターンへの期待とかもありますが)
そんな理由ばかりではないかもしれませんが、そういった有象無象のリタイア希望者と実現者が自分の経験談をネットに発信する事で、セミリタイア情報がネット上に積み上がっていき巨大な情報の塊ができあがっていく事と幾多の参加者が入れ替わりつつも継続していく営みを含めて文化っぽい感じがします。
⬇︎ブログランキング参加中です。
クリックして1票頂けると励みになります!⬇︎