あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

投資のコモディティ化の早期リタイアへの影響

2010年前後くらいでしょうか、液晶パネルとチューナーがあればどんな会社でもテレビを作れる時代になり、色んな会社から液晶テレビが売られるようになりました。テレビはコモディティ化されたと呼ばれ、テレビの値段はがくんと下がりました。

 

それまでテレビを作っていたメーカーはテレビでは儲けられない時代が始まったんですが、同じような話はデスクトップパソコンにも当てはまります。

こんな昔の話を思い出したのは、最近読んだ本に、投資がコモディティ化したと書かれていたからです。

それを実感する身近かな例で言えば、自分は「つみたてNISA」を2020年から始めてますが

agura-huma.hatenablog.com

現状こんな感じでプラスになっています。

 

自分のした事は、当たり前すぎるほど有名で人気な投信を、積立てた(Webページから設定をした)だけで、この結果を出すのに必要なとっておきの情報もなく、特別な才能も必要としてません。

 

そもそも「一般NISA」と「つみたてNISA」の2択で「つみたてNISA」を選んでいる事自体、NISAでは儲ける自信が無い(才能がない)自覚の現れです。

これも投資のコモディティ化(誰でも同じようなリターンが得られる)を示す例の一つでしょう。

こんな風に誰も同じ結果を出せる、再現性のある資産形成が身近になったと言う事は、FIRE達成のFI(経済的自立)面のムード作り、追い風になったと思います。

 

誰でも同じ結果が出せるといいつつも、投資には「損をするリスク」があり、損するリスクをどう自分の中で消化するかが投資に参加するための課題です。また投資に手を出していると言う事は、それなりの「(金銭)欲」がある人でしょう。

そういう恐怖心を抑えるのは「投資経験」であり「損をするリスク」を上回る「欲」だと思います。

また「損するリスク」を上回るような「金銭欲」が強ければいいとも言えません。そんな「欲深」な気持ちが、誰もが同じ結果を出せるようなコモディティ化された投資手法に満足するとは思えないからです。自分の運と才能を信じて、より高いリターンの投資先を目指すと考えるのが自然でしょう。

 

また投資のコモディティ化は、資産形成による経済的自立の現実性を増したと言っても、積立投資による資産形成にはそれなりの時間がかかります。そういう時間を受け入れられる事情も必要です。

(上記の「つみたてNISA」の現状には満足してますが、FIには程遠い数字です)

 

と考えると投資のコモディティ化は恩恵をもたらしているのは事実だけれども、その恩恵を預かれる人というのには条件があるのではと考えます。

損するリスクを上回る金銭欲があって、(投資経験によって)自分の投資の才能の限界に納得して、つみたて投資のリターンに(時間的にも利回りにも)不満が無い(許容できる)という絶妙な属性(バランス)を持った人があてはまりそうです。

そういう意味では、個別株の才能がない事を自覚してて、気の長い運用リターンで我慢できる既に早期リタイア済みの人間とか(要するに自分)ドンピシャだと思います(笑)

振り返ると、投資で儲ける事は株やFXで儲ける事であり、それは一部の才能や運のある人間にしか出来ないと思っていた頃を思えば、いい時代になったものです。

とちょっと自画自賛が入ったところで、最後は気を引き締めて終わりたいと思います。

 

投資のコモディティ化が進んでも「投資にリスクはつきもの」なのには変わりません。「マネーの公理」では「長期投資」をこんな表現で批判してました。

私の見方では(長期)投資家は大いなるギャンブラーである。彼らは、賭けたままそれを持ち続けるので、うまくいかないと、すべてを失う可能性がある。

(中略)

確かにその通りである。明日に賭けることだけでも十分に危険なのに、二〇年後や三〇年後のある日に賭けることなど、完全に狂っている。

 

ただ突き放すだけでなく、こんな風にフォローしてくれてました。

将来についてわかることは、それはいずれやって来るということだけだ。あなたは、その姿をいま見ることはできないが、少なくとも、いずれ訪れるかもしれない好機や危険に対して、正しく反応するための準備をすることはできる。何も準備せずに、ただやられてしまうのは馬鹿げている。

将来の事を予想する事はできないけれど、出来る事はある筈だと言う感じ、いい距離感だと思います。