あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

「人生の午後」を生きるのが早期リタイア生活

年明けの1月に買ってから、ずっとそのままになっていた本「50代からは3年単位で生きなさい」をようやく読みました。極端な言い方をすれば、50代になったら3年後に死ぬかもしれないと思って生きろと言う本です。

 

「いつ死んでもいい」と思うのはなかなか難しい

 

本の中でも出てきますが「死との距離感」と言う意味で「メメント・モリ」(自分が死ぬ事を忘れるな)と言う有名な言葉があります。この単語をGoogleで調べるとこんな説明が出てきます。

この本の「3年単位で生きる」と言う提案も「メメント・モリ」の現代的解釈(今を大切する生き方)と同じとは理解はしますが、心理状態と言うのは揺れ動くもので、比喩だとしても「3年後に死んだとしても悔いのないように生きる」と言われると、本当に3年後に死ぬような気がしてきて、緊張すると言うかあまり楽しく生きる気になれないと言うのが人情と言うものです(苦笑)

 

「保険」に入ると思う

そういう重たい受け止めに配慮しているのか、この本の中では「距離感」について色々な言い回しで表現されていて、中でも自分が一番しっくりきたのは、3年単位で生きると言うのは、死んだ時に後悔を少なくするための「保険」であると言う表現でした。

 

例えば死亡保険に入っている働き盛りのサラリーマンは「生命保険に入ってるからいつ死んでもいいと思っているわけではない」でしょう。「それはそれ」は「これはこれ」です。

自分も社会人になった当初生命保険(死亡保険)に入りました。社会人まで育ててくれた上に葬式代まで親に出させるのは、まずいだろうぐらいの気持であって、当然ですが、いつ死んでもいいと思っていたわけではありません。

 

3年間単位でやりたい事を整理しそれにお金を使う事を「後悔しない保険」の保険料だと思えば、「いつ死んでもいい」を意識せず後悔は少なくできるわけです。まあ理屈っぽいですね(笑)

 

また3年と言う数字には、人生のステージは約3年一回りで(考え方・暮らしetc)変わる事が多く、それに合わせる形で(3年単位で)計画を立てるのは理にかなっているという説明もあり、それにも納得感がありました。

 

人生の午前・午後

3年単位で生きるアプローチの話ばかりになってしまいました。この本は何かの実践本のようなものではなく、もう少し形而上的な内容にも踏み込んだり「人生」とは?的な話についても、色々と紹介されていて、なかなか本全体の要約は大変な本だと思います。

そんな中で、自分が一番印象に残ったのはユングの「人生には午前と午後がある」と言う言葉を引用した部分です。

ユングによれば「人生の午前」と言うのは「みなと共通の事をする事が人生の課題」である時期を指すと言います。

確かに進学し就職し社会に出て働いていくと年代と言うのは、まさに「回りと同じ事をする事」を暗黙的に求められていると言ってもいいでしょう。

それに対して「人生の午後」の課題は「自分にとって必要な事をする」時期だと言ってます。

そして現代日本社会では45才前後がその転換であるとこの本では書かれてました。早期リタイア民的には早期リタイア達成前後が、人生の午前と午後の実際の切り替え点になるそんな風に思えました。

「人生の午後の課題」については「自分にしかなれない自分になっていく」とも書かれていて、そういう意味でも早期リタイアしてからの生活と言うのは「自分にしかなれない自分になっていった生活」だったと思います。