早期リタイヤなんて本当にしていいのか?
生活費や資産運用などリアルなお金の計算や、節約生活についての情報集めやシミュレーションを重ねて1年前には(1年後)退職を決めてましたが、それでもなお退職を切り出す前には不安になるものです。
基本的には(シミュレーションの)計算間違いがないかについてですが、もうひとつは本当に会社生活をやめていいか?です。
司馬遼太郎さんのエッセイに
人生はほとんどの人にとって、慣用句にあるようには苛烈ではなく、どの人間も分際に応じて、適当に愛され、適当に嫌われ、適当にずるっこけて甘えてくらしていて、そして歌の文句のようにツライと言ってくらしているにすぎないが、
(ゴッホの天才性より)
という一節があります。人は不満を抱えて愚痴を言いつつも実際はそんなに酷いものじゃないという言葉になるほどそうかもしれないと考えたりもしますが、と思っているといつまでも早期リタイアできません。
逆に事を大きく構え、自分の人生だけを見つめて自由に生きていい(後押しを期待できる)と言っている言葉に耳を傾けます。
「働かないってワクワクしない ?」
これは本のタイトルなんですが、シンプルイスベストな言葉です。
もともとの題は「JOY OF NOT WORKING」ですから、本のタイトルがいかに大切か分かります。働かないことをイメージしてそれこそワクワクが胸に広がってくる感じです。
自由に生きてこなかった事への後悔
(上記の記事でも紹介してますが)この本の最後のあとがきの一節
自由に生きないことと引き換えに、私は「それなりの人生」を手にいれました。それでも一生に一度も自由に生きられないというのなら、私が私に生まれてきた意味はどこにあるのでしょう?
この問いかけに対して、一生に一度くらい自由に生きてもいいじゃないか(いい年だし) 確かにいいじゃないかという気持ちになります。
好きなことをやりなさい
水木しげるさんが色紙に良く書いた言葉
そういう意味では水木しげるさんのこの言葉も思い浮かびます。
ジョン・レノンのこの言葉も聞いた事があります。
好きに生きたらいいんだよ。
だって、君の人生なんだから。
ここまで来たのならという考え
2015年の12/7号だったかAERAの特集、糸井重里さんのインタビュー「人生の主人公は自分」の一節です。
50歳で新しい事を始めた最大の理由は、40代で「なんで俺は他人が主語の人生」 を送っているんだろう」って気づいたからです。
(略)
他人の要求に応えて「やらなきゃいけないこと」だけやっていたら人生終わっちゃうなと気づいた。
(略)
「自分の人生の主人公は自分」と気づくのが50代
水木さんにしろ糸井さんにしろ、忙しく働き続けてきた人たちが「好きな事したらいい」「人生の主人公になったらいい」と言ってくれるのは心強いです。
仕事がらPros&Consの習慣もあり、物事はいい面と悪い面があるという見方をする方です。相対的な人生観では「不安定」に対する「安定」は悪い事ではないですし「人生は一度きり」という切り口だけで行動する事は「狭い視野」なのかとも思います。
広い視野(色んな見方)はアーリーリタイア生活のリアリティを想像(計算)する上では役立っているとは思うんですが、広い視野だけだといつまでもリタイアなんてできないという矛盾もあります。いい意味で狭い視野での選択なんでしょうが、ときにはメリハリが必要です。