先日の「退職を人に話したか」の記事を書いていながら気づいたのですが、アーリーリタイア生活に入ってから意識しなくなってしまった事がいくつかあります。
自分の心情にもっとも近いコンパクトな退職理由が見つからない事を考えているうちにそもそも、退職理由そのものを細かく思い出せない事に気づきました。
早期リタイアをした理由
考えてみれば理由とは説明とペアのようなもので、そういう意味では退職して2年経ち、説明する機会も無くなりつつあります。退職理由と言うのは退職前の自分(の一大決心)に対しては意味があります。こんな風に理由に限らず立ち位置が変わると忘れてしまう事はあるものです。
例えば浪人生から大学生になった時も、受験が終わればどんな受験勉強をしてたかは(後から誰かに教えるとか事情がなければ)覚えておく事ではないです。
自分の場合も10年近く考えた結果実行したリタイアですが、今(リタイア生活)となっては(どんな理由で退職したかは)もう関係ありません。
まあEvernoteのログを見ていけばその時々で色々な理由が見つかるとは思うのですが。(ネタに困ったら見返してみようかと思います)
スマホとの距離感
こちらは生活の変化からですが、退職前のスマホは暇つぶしや通信手段だったり検索とか手帳代わりだったりした訳ですが、働かなくなり外出が減ればそういう事にはあまり使わなくなります。そういう意味では、スマホの電池の持ちや節電Tips等への意識も毎月のデータ通信量に対する意識も薄くなりました。
「たそがれ感」
こういう立ち位置が変わった事による変化、会社員時代に感じてた「たそがれ感」のようなものも失くなりました。「たそがれ感」と言うのはいわゆる夕暮れを見ると感じる気持ちの事ですが
たそがれ薄暗くなった夕方。夕ぐれ。比喩的に、盛りを過ぎ、勢いが衰えるころの意にも使う。「人生の―」
会社員としてのたそがれ感みたいのだったかもしれません。まあ色々とたそがれ感を感じさせるような研修や仕事上の出来事とか色々あったのも関係しているだけでなく、サラリーマン的な思考回路に馴れていた事もあります。
考えてみれば人生の終わりとは関係ないんですが、会社脳的思考が支配的になるとそういう錯覚に陥りがちです。
会社人生というレールを外れるとサラリーマン的な感じ方もリセットできて、会社員脳と老後(年金生活)脳とも違う早期リタイア脳で感じ考える事ができます。
自分の場合、退職してもルーチンライクな生活を送っていた事で、長いあいだの生活習慣はなかなか変わらないとか思ってたりしたのですが、無意識の部分ではかなりリセットされていたようです。
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