あぐらのSoloZakki

令和が始まる直前に53歳で退職しました。安定から自由を目指します。

定年後の5月病と「意味のある」事

 

先々週くらいでしょうか、定年後の5月病って話を「モーニングショー」で取り上げていました。やはり5月と言えば「5月病」で、ひとコーナー作りたくなるものなんでしょう。

 

定年後の5月病

新しい環境の変化に適応できず、気力がなくなる事を「5月病」と言うようですが、そのイメージをこんなイラストで5月病になった人の紹介をしてました。

この話を聞いていて思い出したのが、鴻上さんの「ほがらか相談室」のこの質問の回です。

dot.asahi.com

 

生きるために必要なこと

夢も気力も無いと言う27才の男性の質問に対して、鴻上さんはこんな風に答えてます。

生きるために必要なことは「夢」でも「気力」でもなく、「退屈しないこと」だと僕は思っています。

もちろん「夢」や「気力」を持って生きている人はいるでしょうし、この手の「単純化」を全肯定するのはアレですが、それほど間違っていないなと感じます。

そして「生きるため」の部分を「早期リタイア生活」にしても、当てはまる気がします。早期リタイア生活に必要なのは(早期リタイア後の)「夢」でなく「退屈しないこと」。確かにそれは言えるような気がします。

 

また「暇つぶし」はそんなに単純ではないとも語っています。

だって人間はすぐに飽きるでしょう。すぐにパターンを読んで、展開を予測して、飽きてくるでしょう。

もし、一生、退屈を感じない人生を送れたら、それはものすごく素晴らしい人生だったと僕は考えます。

 

素晴らしい才能?

つまり「暇つぶし」の才能に恵まれれば、ある種の「素晴らしい人生」を送れる可能性が高いと言う事になります。個人的には頷けるんですが、ちょっと極論なので「ある種の」と言う事にしておきます(苦笑)

 

そして、そんな「暇つぶし」能力が自分にはあるんじゃないかと言う気がします。

このブログも「気力」や「夢」とか関係はなく続けられていますし、収益面で言っても「暇つぶし」の範疇です。

それ以外にもCopilotでアイキャッチ画像を作る事に時間をかけるとか、ドラクエウォークやTrainTripの位置ゲーで遊ぶとか、マラソン大会に出るために走るとか、旅行先で地方の博物館を巡れるとか「暇つぶし」レベルの時間の使い方で早期リタイア生活の自由時間を消費しています。

今回もアイキャッチ画像作成に余計な時間をかけてしまいました…。

 

そういう時間の使い方に意味があるのか?と言う話ですが、先日紹介した記事のように「自分しかなれない自分を目指す」人生の午後の時間帯にいる人間としては、これはこれでいいと肯定的に思っています。

agura-huma.hatenablog.com

そんなわけで「暇つぶし」の才能?に恵まれているんじゃないかと思っているわけですが(笑)こういう(無益無害な)才能が発揮できるのも「ネットとプラットフォーム企業のインフラ」時代のおかげでしょう。いい時代に早期リタイアできました。

 

早期リタイア生活の退屈対策

そんな「暇つぶし」ができるできないの分かれ目は、日頃からの「役に立つ=具体的なリターンがある事」以外への興味の程度だと思います。「旅行に行く」「ゲームをやる」「映画を見る」などの余暇の過ごし方も、目に見えるような万人向けのリターンがあるわけではありません。「何か意味があるの?」という気持の人は当然いるでしょう。

そういう意味では「高校や大学の勉強って将来何かの意味があるの?」的な考えをどれくらい強く持っていたとかも「暇つぶし」力に関係しているかと思います。

 

そんな「暇つぶし」が見つけられず退屈している人が、どうしたらいいのかと言う話ですが、解決策は「働く」事じゃないかと考えます。

早期リタイア人間が「働く」のを勧めるのは矛盾していますが、「暇つぶし」ができない人にとっての最適な「暇つぶし」は、自分のような(「暇つぶし」に困らない)人間にとって、最もやらなさそうな「暇つぶし」じゃないかと思うわけです。

つまりそれが「(暇つぶしに)働く」事です。